極相という幻想



神宮の森の林床
明治神宮の森は本多静六、上原敬二、本郷高徳氏が遷移を考慮した150年間の森づくりを計画、設計施工した森であるこの森は全国からの献上木で構成されていて当時様々な樹種が集まった。(外来種は不適という条件はあったとの事)
また明治神宮の敷地環境も一様ではなく将来の姿を構想しながら適材適所に樹木を配置する事は難しかったに違いない。
先日、この森づくりに現在関わっている濱野氏(農大教授)の現地講習会に参加した。(濱野氏は上原氏の子孫にあたるらしい。)
計画当初に作成された明治神宮境内林苑計画では目指す森は「永久に荘厳神聖なる林相」と書かれている。人が手をかけなくても永遠に続く森といえる。
これはサンクチャリーのような状態で存続する鎮守の森(極相林)と考えられる。
しかし極相林では樹種が限定され林床は貧弱になり、生物種も減少する。
神社林が極相林となっている例は多いが多様性が貧しい森となっている。
濱野氏は 、人為的に遷移をコントロールする事で多様性のある森を維持しなくてはいけないと言っていた。本多静六もそのように考えていたとの事。
前述のように本多の目指した森が「永久に荘厳神聖なる林相」であれば人為的コントロールはない森と考えられるので矛盾している。
本多が「極相林=多様性豊かな森」と考えていたのであろうか? あるいは永久に人為的コントロールをする前提なのだろうか?
岸 由二氏(小網代の森NPO法人代表理事、慶応義塾大学名誉教授)は「永久的に安定した森などはない。極相林は永久に安定するといった事を教えているのは日本だけ」、
「街中に鎮守の森と称して手つかずの森などをつくってはいけない。藪に覆われ山火事の危険がある。」と言っていた。
岸が手掛けている小網代の森は農業放棄地でササに覆われ荒れ放題であった谷戸に土地の潜在力を生かして湿原を作り出し、そこにデッキウォークを設置して川源流から海までの流域を散策して様々な生物を出会える森になっている。
小網代の森




自然のままに任せれば美しい多様性のある森ができると考えている人は多いがこれは明らかに違う。
前述したように多くの場合、林相が単純化し鬱蒼となり人を寄せ付けない森になる。この状態が自然の状態であるので最も美しいのだという考えもあるが
それが生活圏であれば安全、防犯上の問題は避けられない。
「人が手をかけずに自然のままに」とうのは魅力的な言葉であるが人と共生する森をつくるには手入れが必要になる
明治神宮の森のようにできるだけ人の手が入ったように感じさせない最小の手入れをして多様性のある状態を維持する手入れ、または小網代の活動のように積極的にその場所が持つ潜在能力を最大限に引き出すようにする手入れもあるだろう。明治神宮造営時に日光のような杉の森をイメージしていた大熊重信は本多静六の植栽計画について「藪などつくるな!」と言って反対したという。
本多の必死な説得で杉は採用されなかったのは良かったと思うが「藪などつくるな!」という指摘は考えさせられる。
「永久に荘厳神聖なる林相」は幻想なのかもしれない。

[追記]
「記念植樹と日本近代(林学者本多静六の思想と事績)」によると
本多は仁徳天皇陵を理想の森と位置づけ極相林を再現することを方針とした。としている
また「人工天然更新照葉樹林」という言葉がでてくる。これは「人の手を最小限に抑え、樹木がみずから落とした葉や種子を循環させながらその成長を見守り 自然本来の力を発揮させる方法。間伐はせずにその樹木を他の場所(外苑)に移植する」 と書かれている。
これによると最小限の管理をする森であり人が手をかけない森ではない。
「人が手をかけなくても永遠に続く森」とは「人が積極的に手をかけなくても永く続く森」という解釈の方がいいのかもしれない。
本来の極相林を目指すのであれば周りから隔離され人が入り込まないような環境(仁徳天皇陵)が必要であろう。

http://www.mozu-furuichi.jp/jp/img/learn/map/m04_img.jpg
仁徳天皇陵


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